平成最後の夏。

 

平成最後の夏が始まった。

 

死にたい、生きたくない、死ねない、生きなければいけない。

 

自殺するには、財産が足りなかった。

 

 

 

わたしは、変わることはできるのだろうか。

 

 

いつ死んでも後悔はない。やり残したことはない。

 

 

長い夏が始まった。

 

 

 

7月も元気に


否定型で朝を迎えました。

頸動脈の位置 OK

苦しくない OK

ロープの強度 OK

吊り場所 ?

なんというか……ミシミシいってて頼りない

30分は持つだろうけど……イマイチ頼りない

いっそ車の中で否定型でチャレンジする?

ってかロープ長すぎ……1番短いのが5mだったから、クレモナS 12mm使ってるけど、長すぎ……😅 まあ、頑丈でいいかな……


ドアの方へ向きあぐらをかいて座る  
そして首にロープをかけたら  
ゆっくりお尻と太ももで後ろへ移動する  
と、ある段階でフワっと良い気持ちになる  
そのまま輪が緩まなければ成功。 


ちょっと前にこの方法やってたんだけど

フワッとなって輪は緩んでないんだけど

フワフワしてるだけなんだ。

え?そんなもんなのかな、否定型……


今日中に死ななきゃ……


自殺に失敗する

3週間、毎日のように自殺をはかっているのに、1度も死なない。死なないどころか、以前と変わらない。変わったことはと言えば、体が不健康になるくらい。痛いところが増えた。そのくらいで。意識を失うことはほとんどない。苦しみに2時間も3時間も意識があるまま耐えるだけ。苦しいよ。苦しさを乗り越えたら死ねるんだと信じて耐えて、時計を見たら生きてる。ただ、ひとつだけ、買い物中によくひとにぶつかられて、相手には謝罪さえされない。本当はどこかで死んだんじゃないかと……でも、SNSは普通に更新できるから、きっと生きている。両親にもわたしは見えてる、だから生きているんだと。


死んだらどこに行くんだろう?と考えてみたり、調べたりして、肉体が死んでも、魂はこのままさ迷うんだって。それでもいい。

植物状態になって、いまみたいな生活ができなくてもいい。何もかも忘れてしまっても、忘れられても、その覚悟なんかできてるから、死ぬって決断したんだ。


首を絞めたあとは顎をあげるとたくさんあって、これを見る度に、まだ生きてる、早く死ななきゃ、って思う。


みんな、どうして苦しくても生きてるんだろう?楽しいことをするために生きてるって言ってた、仕方がなく生きてるって言ってた、理由を探すために生きてるって言ってた、やるべき事を終わらせるために生きてるって言ってた、意味なんてないって言ってた、どこかにいる誰かと愛し愛されるために生きてるって言ってた、子孫を増やすために生きてるって言ってた、答えなんて見つからないって言ってた。

この生命が奇跡なんだとしたら、どうしてわたしだったんだろう?正しく生きている人が正しいと証明するため?


興味深い記事を読みました。

自殺をしても、まだ死んでないと繰り返すそして、他の人とまた繰り返す。そうして、あの世へ行って、旅をして、また、この世界に生まれて、また同じ年の頃に死にたくなる。

繰り返す。わたしは、5歳か6歳頃には、漠然と死にたくて、理由はなく、ただ死にたくなってた。その度に理由を見つけて、死にたい死にたいと言って。浅瀬の川でも、橋の上に行くと、怖い。高いところは平気なのに、どうしても、橋だけは怖い。そして、その理由を遡るべく、家系図を調べると、昔、7歳で飛び込んだご先祖さまがいることがわかった。そして、わかったの、また生まれ変わっても、こうして繰り返すのだと。わたしが産まれる前に飼われていた猫は車に轢かれて亡くなったらしい。両親は、一度流産を経験して、悲しくて毎日泣いていた。だから、わたしを授かったんだと言っていた。でも……でも……わたしは、期待に答えられないよ。


次に生まれ変われるなら、もっともっと容姿にも気を遣おう。そして、もう愛する人を大切にすることを忘れない。税金、払いたくないなあ。

生きられない理由


皆様、こんばんは。

この2日間は、死ぬだとか、タイムリープではなく、生きることについて考えておりました。


死にたい理由は申し上げたように、

取り返しのつかない失敗をしてしまった。

失敗をする前に戻り、やり直すか、

もう、無責任に全てを投げ出すかの2択。

選択肢は他にもあるけれど、このまま生きてさらに悩み続けるのはもう嫌です。


仕事での失敗は、辞めてしまえば逃げられる

でも、逃げて、保険料や、税金はどのように支払いますか?生きる限り、払い続けなければいけない……それが、わたしの死にたい最大の理由です。


反対に、何のために生きるのでしょう。


ある人は幸せになるために生きるといい、


ある人は働くために生きるといい、


ある人は生まれたから生きるといいました。


幸せになりたくない、

働きたくない、

生きたくない、


死んでも地縛霊になるだけだ、

死ぬのは肉体だけで、魂は生き続ける、

いや、でも、税金払わなくて済むよね?

それ以上の幸福があるでしょうか。


正直なところ、

働いたお金は全て税金や保険料、ローン、家賃に消えていきます。生きるために働いて、働くために生きて、1ヶ月仕事を休んで、ぼーっとして、(その間は欠勤です)


納税は義務ですね、

勤労も義務ですね。


頑張って稼いだお金は、全て支払いに。


仕事のためにiPhoneは必要、

仕事のために車は必要、

仕事のために住むところは必要、


”生きているから”税金を払う

”生きているから”保険料を払う


もう、こんな生活はしたくない。


働いて、国に税金を納める。

その納めた税金で政治家は娯楽のために横領し、国の負債を支払い、年金は今の老人に支払われ、未来、我々に還元されることはなく。


国が、わたしたちを殺していく。


今のご老人は過去、戦争を生きてきた。

人生の先輩だなんて、承知しています。


でも、でも、でも、でも、


人間は働くために生まれてきたというのなら、わたしは生きることは苦痛でしかない。


もっと気が強くなりなさい。

もっと欲を持ちなさい。

もっと感謝をしなさい。


わかってるよ…… 自分が一番…………


幸せになるために生まれてきたというのなら、わたしはもう、充分幸せを堪能しました。


生きてればいいことがあるよ。

幸せになれない人間はいないよ。


もう、いいこともあったし、望むものはないし、わたしはちゃんと幸せ。幸せだから、もうなにも思い残すことはない。


憧れだった。


好きな人ができて、その人の好きな人になること。

かわいくなって、一番好きな人に認めてもらうこと。

愛する人に、たくさんたくさん愛してると言ってもらうこと。

わがままを言って、困った顔を見たくて、最後に大好きだよと伝えること。


憧れの仕事をすること。

誇りを持って仕事をすること。

誰にも負けないくらいに極めること。


好きなお洋服が似合うようになること。

憧れの車にのること。

その時、運転席にいるのが大好きな恋人であること。


友だちと泊まりで旅行にいくこと。

たくさん写真を撮って、色んなところへ行くこと。

喧嘩や衝突をたくさんすること。


もう、これ以上、望みはない。

生きていれば生きているほど、死にたくなる

死にたくなるくらいなら、もう終わりにしよう。



色々悩むことはあったけれど、

生まれてきて、人生というものを経験できてよかったと思っています。心を持てて良かった。心があるから、嬉しいとか、悲しいとか、辛いとか、楽しいとか感じることができます。



精神論は所詮はきれいごと。

心がある、嬉しい、幸せではお金は払えない。だから、わたしはもうそんな世界とはさよなら。


もし、生まれ変わるなら、わたしは、どうなりたいだろう。前世はきっと猫で、両親によく懐いていたそう。


それなら、また、両親のもとに生まれ変わるのでしょうね。また、2人は気づいてくれるかな。


また、恋愛をすることができるなら、その相手は晃史さんだといいな。晃史さんの、大きな背中、大きな手、大好きだったなあ。


わたしがひとりで歩いて、「きれいなお姉さん、僕とお茶に行きませんか(笑)」と、照れながら笑ってくれたのが、最初のデートだったね。


わたしは、なんでもひとりで決めてしまって、それで自己嫌悪に陥っても、真剣に話を聞いてくれていたね。それなのに、わたしが頑固だったから、お別れすることになっちゃったね。


小林さんを好きになって、失恋して、

ユキさんを好きになって、ひとりぼっちになって、

晃史さんを好きになって、愛される喜びを知った。


全力で生きた。幸せだった。


全力を出し切って、今は疲れちゃった。


きゅうけい、させてね。

6-21 南海トラフ

 

なんとなく、そろそろ南海トラフが来るかも?って気がして検索したら、案の定、予言で2018年6月21日の夕方頃に南海トラフが来るとの予言を見つけた。

 

わたしは預言者じゃないし、霊能力者でもないし、タイムリーパーでもないのだけど、なんとなく、そろそろ来る気がした。南海トラフじゃないけど、大地震が。でも、それは夕方ではないし、昼頃、2時~3時頃かな?ぐらいの気がしてた。

 

わたしは愛知県に住んでいるけど、愛知県ではそんなに大した被害はないと思う。

問題なのは、静岡とか、岐阜とかあたりかな?洪水?津波の被害が大きそう。

震源は滋賀か兵庫だと思う。全然、東海地方ではないから、南海トラフじゃない。

マグニチュードとか、震度とかはニュースを全くみないからわからない。

でも、多分、東日本大震災みたいな感じじゃないかなあ。

他の地震のときは産まれてないか、記憶になくて、わかんない。

 

 

愛知県と三重県は多分、そんなに被害はないと思う。

誰かがいるので。地震を避ける人?雷で言う避雷針みたいな人が、弥富?か蟹江?あたりに住んでいる気がします。根拠はないけど、そんな気がします。

 

これは、一応、そういう発言をしていた人がいるという記録として投稿しておきます。

 

とりあえず、12時過ぎたらタイムリープの続きをします。

タイムリープしようと思う。①

 

死にたいと思う原因の多くは、過去の取り返しのつかない失敗によるもの。

 

究極のことを言えば、産まれてきてしまったことからやり直したいけど、

物理的にそれが不可能なので……まだ、可能そうなタイムリープについて。

 

わたしは、いつ頃からか、みたい夢をコントロールできるようになっていた。

コントロールと言うか、「あんな夢がみたいな」と思うことで、夢を見られる。

強く思いすぎることはいけない。

漠然と、「高校時代の夢がみたいな」と思うことで、見られる、みたいな。

どうしても、あの夢を見るぞ!と思うと、見れない。

ぼんやりとそのことを考えるのだ。

 

この記事を書くにあたって、実験してみた。

 

①強く願いながら眠る

現実の思いが強すぎるのか、夢の残像を見ながら、

夢と現実の狭間(まどろみ?)で現実に引き寄せられる

 

②ぼんやりと考える

その夢を見られる

といったものだ。

 

わたしはこの時、一応だけれど、

戻りたい時間・場所・どうしていたかを記入した紙を枕の下においてみた。

これは好きな人の夢を見たいときの要領で、つい行ってしまったもの。

(平成○年○月○日 ××時××分 △△の家 ~~をしている...程度の具体さ)

 

ただし、この方法は完璧に"戻りたい瞬間"に戻るわけではなかった。

戻りたい瞬間の1時間前だったり、1時間後だったりする。

だから、漠然と意識を持つ必要がある。

わたしの場合、本当に過ちを犯してしまった1日前に戻ることを想定していたので、

問題はなかった。

 

次に見たい夢を見たときに、自由に動くこと。

夢だと気づかない、それがあたかも現実だと思うこと。

これがなかなか難しい。現実のことを思い出すと、現実に引きずられる。

だから、現実=未来だと認識すること。 あくまで、それが現実ではない。

ただ、わたしも見たい夢を見る、という目的から、タイムリープをするという目的にシフトチェンジをしたのは、午前3時頃の話なので、まだ実験に十分ではないと思う。

 

また、なにか気づくことがあればブログに書こうと思う。

首を絞めた話


今月から、本格的に首を絞めるようになった。


昔から、多少は締める癖があったけど、苦しくてやめてしまうことが多かった。


今回は、本当に死にかけたときの話。


気道を圧迫すれば、2時間も放置すれば死ねると聞いたので、苦しくても頑張るようにした。長袖のシャツを後から前に2周、究極に苦しいところで縛った。顔が膨張して、丸くなってるのがわかった。呼吸はすぐに出来なくなった。←1番苦しかった  こんなに死にたいのに、体は生きたいから、息ができないのに息をしようとするんだ。口はガムテープで止めてたから、鼻で息をしようとするんだけど、吸えないし、吐けない。お腹と胸(肺?)が苦しくなって、でも、息はできなくて、だんだん体の力が抜けて、多少の痛みはあるけど、ふわふわした気分になっていった。体感では30分くらいだったけど、たぶん、1分や2分のことだと思う。

これが、意識がなくなるってことなのかどうかはわからなかったけど、呼吸をしなくても平気だった。

だんだん、体が痙攣して、勝手に動き出す。足は上がり(今までにないくらい真っ直ぐに)腕も天に引っ張られる。

だんだん体が宙に浮いていく。すごくすごく軽かった。幽体離脱とか、解体離脱と呼ばれるものだったかもしれない。

体が宙に浮いて、部屋をぐるぐる飛んで回った。時には椅子に座ってパソコンを見たりした。部屋は真っ暗だった。でも、何かを考えたり、感じたりしなかった。部屋を出て、家中を回った。歩いていた。父親も母親も寝ていた。猫も寝ていた。だから、わたしも眠ることにした。

そして、ある人達に出会った。

首を吊って亡くなった方達について行った。

そして、彼らが亡くなった後の世界を見た。

何事もなかったかのようにすぎる世界。

でも、それは全てを見たわけではない。

誰かは悲しみ、苦しみ、生きている。

身内が自殺をしたり、病死したりを見てきた。

みんな、普通に生きてる。わたしが死んでも、きっと変わらず生きるのだと思う。

そして、全てを見て、部屋に帰ってきたときに私は、思った。「こんな甘い締め方じゃ死ねない!」と。そこで意識がはっきりとして、痛みと苦しみに襲われた。急いでガムテープと紐を解いた。時間は4時間くらい。夢を見ていた感じではなかった。全て現実だったんだ、と思った。


それから、しっかり首を絞められない。

あの一瞬の苦しみを乗り越えたら、あとは苦しさはなかった。死ぬ間際だったと思う。